鳥取地方裁判所 昭和47年(行ウ)2号 判決 1980年3月13日
原告 中島俊蔵
被告 岩美町
主文
1 被告が昭和三八年四月一日付でなした別紙道路目録記載の路線の供用開始処分のうち、別紙物件目録記載の一ないし六の各土地を通過する道路部分についてなされた部分は無効であることを確認する。
2 別紙図面イロハニイの各点を順次直線で結ぶ範囲内の土地および同図面ホヘトホの各点を順次直線で結ぶ範囲内の土地についての主位的請求を棄却する。
3 前項記載の各土地につき昭和三八年四月一日付でなされた供用開始処分は無効であることを確認する。
4 路線認定処分の無効確認を求める訴は却下する。
5 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が昭和三八年三月二八日付でなした別紙道路目録記載の路線の認定処分、同年四月一日付でなした同目録記載の路線の供用開始処分のうち別紙物件目録記載の一ないし六の各土地を通過する道路部分についてなされた部分は無効であることを確認する。
2 別紙図面イロハニイの各点を順次直線で結ぶ範囲内の土地および同図面ホヘトホの各点を順次直線で結ぶ範囲内の土地は右道路として供用を開始されていないことを確認する。
3 (前項の各土地につき仮に供用が開始されているとすれば)前項の各土地につき供用開始処分が無効であることを確認する。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 訴外中島忠蔵(以下、「忠蔵」という。)は、別紙物件目録一ないし六記載の各土地(以下、「本件土地」という。)を所有していた。
2 昭和一一年八月より一一月にかけて、本件土地は、競落により訴外寺坂林蔵の所有に帰した。
3 昭和一七年一〇月一五日、原告は、本件土地を右訴外寺坂林蔵から一括買戻し、その所有権を取得した。
4 被告は、昭和三八年三月二八日付をもつて別紙道路目録記載の路線の認定処分(以下、「本件認定処分」という。)をなし、同年四月一日付で道路として供用を開始する処分をした(以下、「本件供用開始処分」という。)。
5 被告の本件認定処分および本件供用開始処分にかかる道路(以下、「本件道路」という。)は、前記原告所有の本件土地上を通過しており、一方において別紙物件目録記載の一および二の土地に沿い龍岩寺(字西町田屋敷八五一番)の方に至り(以下、これを「甲道」という。)、他方において甲道の途中から右一の土地と二の土地との間を入り別紙物件目録記載の三ないし六の各土地を通過して弥長神社および海岸の方向に至つている(以下、これを「乙道」という。)。
6 被告は、本件道路の供用開始処分をなすにつき原告の同意を得る手続を経ていない。
7(一) 別紙図面イロハニイの各点を順次直線で結ぶ範囲の土地は別紙物件目録記載の二の土地の一部であり、同図面ホヘトホの各点を順次直線で結ぶ範囲の土地は、別紙物件目録記載の一の土地の一部である(以下、右両部分をあわせて「甲道拡張部分」という。)。
(二) 甲道拡張部分につき道路区域とする旨の変更の決定手続、その他道路法上のいかなる処分も行なわれていない。
(三) 原告は、被告に対して甲道拡張部分につき何らの権原も与えていない。
(四) 原告が甲道拡張部分に杭を打つたところ、被告は本件認定処分および本件供用開始処分を根拠に被告町道であるとして、所轄警察署をして原告に杭を抜かせるなど、原告の甲道拡張部分の占有使用を妨げその所有権を否認し、また、供用が開始されていないのにこれを主張している。
8(一) 大岩村(後に被告に合併)は、昭和二五年三月二六日乙道について同村議会議決により村道編入を行なつた。
(二) 右議決による村道編入は、存在しない道路を存在するものとしてなした内容虚無の認定行為である。
(三) 原告は、乙道のうち別紙物件目録一ないし六の土地を通過する部分(以下、「乙道部分」という。)につき、大岩村ないし被告に対し所有権を譲渡しあるいは土地使用の権原を与えたことはない。
(四) 大岩村は、乙道につき道路法に定める区域の決定、公示、縦覧等の法定手続を行なつていない。
(五) 大岩村は、乙道につき工事を施行して道路の形体をととのえることを行なつていない。
(六) 被告は、本件認定処分および本件供用開始処分を根拠に被告町道であるとして原告の乙道部分の所有権を否認するものである。
9 よつて、甲道拡張部分について、いかなる処分も行なわれておらず、仮に本件供用開始処分がなされているとすれば被告の無権原ゆえに重大かつ明白な瑕疵が存するので無効であり、また乙道部分について、被告の本件路線認定処分および本件供用開始処分には8の(二)ないし(五)の重大かつ明白な瑕疵が存するので、無効である。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし6の各事実は認める。
2 同7の(一)の事実は認める。
3 同7の(二)および(三)の事実は否認する。
4 同7の(四)の事実のうち、「供用が開始されていないのに」の部分は否認し、その余の事実は認める。
5 同8の(一)の事実は認める。
6 同8の(二)ないし(五)の各事実は否認する。
7 同8の(六)の事実は認める。
三 抗弁
1 原告の本件訴提起は法定の期間経過後になされた不適法なものである。
(一) 原告は、昭和四六年七月ころから本件道路の通行を妨害したので、被告は原告に対し、被告の本件認定処分がなされているから、民衆の通行を妨害してはならない旨説得した。
(二) 昭和四七年三月一七日、被告は、原告に対し、本件道路につき本件認定処分がなされているので民衆の通行を妨害してはならない旨最終的に告げた。
(三) 被告が本件道路につき本件認定処分をなすに際し、原告から甲道拡張部分および乙道部分(以下、「本件道路部分」という。)の所有権もしくは土地使用権を得なかつたという瑕疵は、単なる取消事由である。
(四) 取消訴訟は処分のあつた日から一年もしくは処分のあつたことを知つた日から三か月の期間内に訴を提起することが要求されているが、原告の本訴請求は昭和四七年六月二三日付でなされており、右期間を徒過したものである。
よつて、本訴請求は却下されるべきである。
2 本件土地の真の所有者は訴外忠蔵である(虚偽表示の主張)。
本件土地の登記簿上の所有名義は訴外忠蔵から昭和一一年に訴外寺坂林蔵に、さらに昭和一七年に原告に順次移転されているが、原告は仮装の所有名義人であり、昭和一七年に本件土地を買受けたのは訴外忠蔵である。すなわち、訴外忠蔵は、昭和一一年ころ負債を有していたため、一時的に自己の親族である訴外寺坂林蔵に本件土地を競落させ、同一三年ころ、負債の整理ができたので、自己の出捐をもつて本件土地を買戻したが、将来訴外忠蔵からその長男である原告への相続登記を省略するため、原告の所有名義に登記をしたのであり、その間の行為につき原告は全く関与せず、訴外忠蔵がすべての交渉、手続をしたもので、原告は昭和一三年ころ本件土地を買戻し得る資金を有していなかつた。
3 贈与による甲道拡張部分の所有権取得
(一) 甲道拡張部分は、元来訴外忠蔵の所有であり、同人は同土地上に建物を築造してこれを訴外沢吉次夫婦に使用させていた。
(二)(1) 訴外忠蔵は、昭和一八年秋ころ、大谷部落(大谷部落ないしその伍長会員のことで、以下単に「大谷部落」という。)との間で、甲道拡張部分の所有権を大岩村道の道路敷として大谷部落に移転する旨の贈与契約を締結した。
(2) 訴外忠蔵は、昭和一八年秋ころ、大谷部落との間で、甲道拡張部分の所有権を大岩村に取得せしめる旨の贈与契約を第三者である同村のために締結した。
(三) 大岩村は、大谷部落を介してそのころ甲道拡張部分の所有権の移転を承諾した。
(四) そのころ、大谷部落民は、その費用をもつて甲道拡張部分につき拡張工事をした。
(五) 昭和二五年三月二六日、大岩村は、訴外忠蔵の前記行為を手続的にも承諾して、甲道拡張部分の所有権の移転を受け、大岩村道に編入した。
(六) 大岩村は、昭和一八年秋ころまたは遅くとも同二五年三月二六日、前記(二)の(2)の契約に基づく所有権取得の利益を享受する意思を黙示に表示した。
(七) 昭和二九年、被告は大岩村と合併し、これにより甲道拡張部分の所有権を包括承継した。
(八) 被告は昭和三八年三月二八日本件道路につき本件認定処分をなし、同年四月一日付をもつて甲道拡張部分を含めて、本件供用開始処分をした。
(九) 被告は、本件認定処分をするにつき、その旨を原告に通知し、原告はこれに対し異議を主張しなかつた。
4 通行地役権設定契約による甲道拡張部分の通行地役権取得
仮に、右3(二)の契約が贈与契約でないとしても、訴外忠蔵は、昭和一八年秋、大谷部落との間で、甲道拡張部分を大岩村道の道路敷として提供し、同部分の工事と永代かつ無償でのその通行を認める旨の合意をし、または、右部分につき右と同内容の通行を認める通行地役権を設定しこれを大岩村に取得せしめる旨の同村のためにする契約を締結したものであり、同村は、前記3の(三)ないし(六)と同様にして、右地役権設定を承諾しまたは受益の意思表示をした。
5 訴外忠蔵の代理行為による甲道拡張部分の所有権または通行地役権の取得
(一) 甲道拡張部分が原告の所有であつたとしても、原告は、訴外忠蔵に対し、自己所有の不動産について管理および処分の一般的、包括的な代理権を授与しており、同人は原告の代理人として、大谷部落との間で前記3(二)または4の契約を締結したものである。
(二) 訴外忠蔵は、原告所有の全不動産を管理処分していたもので、別紙物件目録記載の七ないし一四の各土地につき、昭和九年三月二三日付で訴外大西一男に譲渡担保としてこれを売渡し、さらに昭和一三、四年にこれを同人から買戻し、そのうち別紙物件目録記載の七、九、一一の各土地は原告の所有名義とし、他は中間省略登記により訴外沢謙太郎、同谷掛善男、同中島熊蔵等に転売したが、右売買手続のすべては訴外忠蔵がしたもので、大谷部落および大岩村において本件土地の管理処分権が訴外忠蔵にあると信ずべき正当の理由があつた。
(三) 原告は、昭和一八年秋ころ、甲道拡張部分が公衆道路として使用されている事実を知悉していたが、昭和四七年の本件訴訟提起に至るまで大谷部落、大岩村、被告に何らの異議、抗議をせず、また父である訴外忠蔵にも何ら異議を申し出なかつたもので、訴外忠蔵の前記(一)の代理行為を追認したものである。
(四) 仮に訴外忠蔵に代理権がなかつたとしても、同人は昭和二六年一月六日死亡し、原告は訴外忠蔵の無権代理人としての地位を承継した。
6 交換類似の契約による乙道部分の所有権取得―その1
(一) 大谷部落民その他の第三者は、従来から乙道を通行していたが、昭和二三年ころまで乙道は現在の道巾よりずつと狭かつた。
(二)(1) 訴外忠蔵は、大谷部落との間で、遅くとも昭和二二、三年ころ、訴外忠蔵が当時国有地であつた別紙物件目録記載の一五の土地(以下、「吉次前道路」という。)の払下げを受けるにつき利害関係人たる大谷部落が同意を与えこれに協力することを交換条件に、その所有する本件土地のうち乙道部分の所有権を大谷部落に移転する旨の交換類似の契約を締結した。
(2) 訴外忠蔵は、大谷部落との間で、右交換条件の下に乙道部分の所有権を大岩村に取得せしめる旨の交換類似の同村のためにする契約を締結した。
(三) 大岩村は、大谷部落を介してそのころ乙道部分の所有権の移転を承諾した。
(四) 昭和二三年、大谷部落は、乙道部分につき拡張工事、石垣作業をした。
(五) 昭和二五年三月二六日、大岩村は、訴外忠蔵の前記行為を手続的にも承諾して、乙道部分の所有権の移転を受け、大岩村道に編入した。
(六) 大岩村は、昭和二三年ころまたは遅くとも同二五年三月二六日、訴外忠蔵に対し、乙道部分の所有権の移転の利益を享受する旨の意思を表示した。
7 交換類似の契約による乙道部分の所有権取得―その2
(一) 訴外栗田重太郎(以下、「栗田」という。)は、昭和二五年七月五日、訴外忠蔵の代理人として、大谷部落との間で、訴外忠蔵が当時国有地であつた吉次前道路の払下げを受けるにつき利害関係人たる大谷部落が同意を与えこれに協力することを交換条件に、訴外忠蔵所有の乙道部分の所有権を大谷部落に移転する旨の交換類似の契約を締結した。
(二) 訴外忠蔵は、右契約に先立ち、予め訴外栗田に対し右契約をなす代理権を与え、大谷部落に対しても右契約をなすことにつき承諾を与えていた。
(三) 大谷部落は、昭和二五年八月一日、乙道部分を手続的にも大岩村道に編入することを決定した。
(四) 大谷部落は、昭和二六年四月一三日、乙道の実測をし、訴外栗田は右実測に訴外忠蔵の代理人として立会つた。
(五) 大岩村はそのころ村議会の承認により乙道部分を手続的にも大岩村道に編入した。
8 交換類似の契約による乙道部分の通行地役権取得
仮に前記6(二)の契約が所有権移転の契約でなかつたとしても、訴外忠蔵は、大谷部落との間で、6(二)の(1)の交換条件の下に、その所有する乙道部分に通行地役権を設定して大谷部落に提供する旨の契約または乙道部分に通行地役権を設定してこれを大岩村に取得せしめる旨の同村のためにする契約を締結したものであり、同村は、前記6の(三)ないし(六)と同様にして、右地役権設定を承諾しまたは受益の意思表示をした。
9 訴外忠蔵の代理行為による乙道部分の所有権または通行地役権の取得
乙道部分が原告の所有であつたとしても、訴外忠蔵は、前記5(一)と同様の代理権に基づき、原告の代理人として、大谷部落との間で前記6(二)または8の契約をしたものであり、仮に訴外忠蔵に代理権がなかつたとしても、右契約につき前記5の(二)ないし(四)と同様の事情があつた。
10 時効による本件道路部分の所有権取得
(一) 前記3、5、6または9のとおり、訴外忠蔵と大谷部落との間に所有権移転の契約が締結され、大岩村は右契約を承諾しまたは受益の意思表示をした。
(二) 大岩村は、昭和二五年三月二六日、本件道路部分の所有権を取得したものと信じて大岩村道に編入し、以後所有の意思をもつてこれを占有管理してきた。
(三) 昭和二九年、被告は、大岩村と合併し、本件道路部分に対する同村の占有を承諾した。
(四)(1) 大岩村は、昭和二五年三月二六日、右占有管理を平穏公然善意無過失に始めたものであるから、その一〇年後の昭和三五年三月二五日の経過をもつて、被告は本件道路部分の所有権を時効により取得した。
(2) そうでないとしても、占有開始から二〇年後の昭和四五年三月二五日の経過をもつて、被告は本件道路部分の所有権を時効により取得した。
11 時効による本件道路部分の通行地役権取得
右と同様にして、大岩村は、前記4、5、8または9の契約に基づき、本件道路部分の通行地役権を取得したものと信じて、昭和二五年三月二六日これを大岩村道に編入し、以後同村および被告において通行地役権を行使する意思をもつて、これを占有管理してきた。したがつて、被告は、前記10(四)と同様にして、昭和三五年三月二五日または同四五年三月二五日の経過をもつて、本件道路部分の通行地役権を時効により取得した。
四 抗弁に対する認否
1(一) 抗弁1の(一)の事実は否認する。
(二) 同1の(二)につき、昭和四七年三月に至つて初めて原告が本件認定処分がなされていることを知つたことは認める。
(三) 同1の(三)につき、本件道路部分の所有権もしくは土地使用権を得なかつたという瑕疵は無効事由である。
2 同2のうち、登記簿上の所有名義移転の経緯、昭和一一年に訴外寺坂林蔵が本件土地を競落したこと、原告が訴外忠蔵の長男であることは認め、その余の事実は否認する。
3 同3の(一)の事実のうち、同土地上の建物に訴外沢吉次夫婦が居住していたことは認める。その余は否認する。
(二) 同3(二)の(1)、(2)の各事実はいずれも否認する。
(三) 同3の(四)の事実について、甲道拡張部分の拡張は、原告不知の間に大谷部落の有志が居住者沢吉次の承諾も得ないで同人夫婦の居住する原告所有の家屋の一部を切除して強行したという事情を前提に、これを認める。
(四) 同3の(五)の事実は否認する。
(五) 同3の(八)の事実のうち、本件道路のうち甲道拡張部分につき本件供用開始処分がなされた事実は否認し、その余の事実は認める。
(六) 同3の(九)の事実は否認する。
4 同4の事実は否認する。
5(一) 同5の(一)のうち、甲道拡張部分が原告の所有であることは認め、その余の事実は否認する。
(二) 同5の(二)、(三)の事実は否認する。
(三) 同5の(四)のうち、訴外忠蔵が死亡したことは認める。
6(一) 同6の(一)の事実は昭和二三年ころまでという点を除き認める。乙道は、往時より村民の通行によつて自然に形成され、道路の状態を呈しているにすぎない。
(二) 同6(二)の(1)、(2)の各事実はいずれも否認する。このような契約があつたとすれば、払下げへの協力と交換の対象になつたのは、別紙物件目録記載の六の土地の南角にあつた戎堂屋敷の跡である。
(三) 同6の(四)の事実は否認する。乙道は現に村民が通行している私道の形を成しているにすぎない。
7(一) 同7の(一)、(二)の各事実はいずれも否認する。
(二) 同7の(四)の事実は否認する。
8 同8の事実は否認する。
9 同9のうち、甲道拡張部分が原告の所有であることは認め、その余の各事実はいずれも否認する。
10(一) 同10の(一)の事実は否認する。
(二) 同10の(四)の事実は否認する。
11 同11の事実は否認する。
五 再抗弁
1 原告は本件土地につき所有権登記を有する。
2 訴外忠蔵は、昭和一八年から同二六年ころまで、老人痴呆症が原因で自己の行為の結果を認識するに十分な精神的能力を欠いていた。
六 再抗弁に対する認否
1 再抗弁1の事実は認める。
2 同2の事実は否認する。訴外奥田憲太郎は、訴外忠蔵の依頼により底引網漁業に関して尽力してやつたことがあり、これに関する交渉のための相談は、すべて訴外忠蔵と訴外奥田憲太郎の間でしたものである。訴外忠蔵は、自己が倒産した身上であるので、訴外栗田の名義を使用していたが、実質は訴外忠蔵が底引網漁業を経営していたのである。
第三証拠<省略>
理由
第一訴の適法性について
一 被告は、本件訴が期間経過後に提起されたものである旨主張するが、本件訴は、処分の存否およびその効力の有無の確認を求めるものであつて、行訴法三条四項の訴訟に該当し、かかる訴には同法一四条の出訴期間の制限の規定の適用はないことが明らかであるから、右主張は採用しえない。なお、当該処分の瑕疵が処分の無効事由にあたるかあるいは単なる取消事由にすぎないかは、無効確認等の訴においては、本案の理由の有無の問題であつて、訴自体の適法性とは関係がない。
二 現行道路法(昭和二七年法律第一八〇号)のもとにおいて市町村道を開設するためには、路線の認定(同法八条)、区域の決定(同法一八条一項)および供用の開始(同法同条二項)の各処分を順次経なければならないのであり、路線認定処分は、路線の名称、起点、終点、重要な経過地等を定め、これを公示するもの(同法九条)であつて、道路敷地となるべき土地の範囲を具体的に確定するものではなく、次の手続である区域決定の処分があつて初めて道路の区域が定まるとともに、当該区域内にある土地の所有者の権利に一定の制限が課されるに至る(同法九一条)のであり、さらに供用開始までに、道路管理者において道路敷地についての権原を取得し、道路の形体を整えることを要するのである。したがつて、路線認定処分は、一連の手続中の前段階的行為であつて、それ自体土地所有者の権利義務に直接法律上の影響を及ぼすものではないから、抗告訴訟の対象となる行政処分には当らないものと解するのが相当であり、本訴の内、本件路線認定処分の無効確認を求める訴は不適法というべきである。
第二請求原因1ないし6の各事実は当事者間に争いがない。
第三抗弁2(通謀虚偽表示の主張)について
本件土地の登記簿上の所有名義の移転に関する事実、原告が訴外忠蔵の長男であり、訴外寺坂林蔵がその親族で、本件土地を競落した者である事実は、当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によれば、訴外忠蔵が昭和一一年当時負債を有していた事実を認めることができる。しかし、その余の被告主張事実を認めるに足る証拠はなく、原告が仮装の所有名義人にすぎないものと認めることはできない。
第四甲道拡張部分の供用開始処分の存否について
一 請求原因7(一)の事実は当事者間に争いがない。
二 本件供用開始処分およびその前提となる区域決定処分にあたつて、法一八条の規定に基づき縦覧に供すべきであつた図面等の存在は明らかでない。しかし、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第一号証の一ないし三、証人平井貞夫の証言ならびに弁論の全趣旨によれば、甲道は昭和一八年ころから事実上甲道拡張部分をも道路の一部に含めて使用されてきたものであること、本件認定処分は従前から存在していた道路につきいつたん路線を廃止したうえこれを再編成する趣旨でなされたものであることが認められ、したがつて、本件供用開始処分は甲道拡張部分も甲道に含まれるものとしてなされたものと推定することができる。この判断を覆えすに足る証拠はない。
三 そうすると、甲道拡張部分につき供用開始処分が存在しないものということはできず、この点の原告の主張は理由がない。
第五本件供用開始処分の効力について
一1 旧道路法(大正八年法律第五八号)は昭和二七年六月一〇日公布された新道路法(同年法律第一八〇号)に改められ、新道路法は、そのうち五条から一〇条まで等の一部の規定が右公布の日から、その余が同年一二月五日からそれぞれ施行された(同法附則および同年一二月四日政令第四七八号。)。ところで、旧道路法のもとにおいては、町村道の路線は町村長がこれを認定し(同法一四条)、その道路の区域は、管理者(同法一七条)たる町村長がこれを定めるべきものとされていた(同法一九条)が、町村道を開設するためにはこれをもつて足り、右路線の認定および区域の決定にあたり、公示・縦覧等の手続は法定されていなかつた(もつとも、大岩村の村道編入行為につき手続上の瑕疵をいう請求原因8(四)の主張は、いずれにしても、新法のもとで改めてなされた本件供用開始処分の効力に影響するものではない。)。しかし、旧道路法のもとにおいても、一般私有地について道路管理者が何らの権原をも取得することなく道路として供用を開始することは許されなかつたものと解すべきである。
2 新道路法のもとにおいては、前記のとおり、市町村道の開設については路線の認定、区域の決定、供用の開始の各処分を経るべく、かつ各処分につき公示・縦覧等の手続をとるべきものと定められているのであるが、さらに道路管理者たる市町村は、供用の開始の前に、道路として供用すべき土地について所有権その他の権原を取得しておくことが必要であり、また必要な工事を行なつて道路としての形体をととのえなければならないのであり、右権原を取得することなく私有地を道路敷地としてその供用を開始しても、その供用開始は無効であると解すべきである。
二 甲道拡張部分についての被告の権原の取得の有無
検証の結果、証人栗田重太郎、同中島正二郎、同沢藤野の各証言および原告本人尋問の結果によると、別紙物件目録記載の一の土地上には訴外忠蔵が建築し訴外沢吉次の居住する建物が存在するところ(右沢居住建物の存在は当事者間に争いがない)、昭和一八年中ごろ、大谷部落から請負つた者が右建物の一部である牛小屋を切り取り、右切取部分の敷地のうち別紙図面ホヘトホの各点を順次結ぶ直線によつて囲まれた部分を道路に取り込み、あわせて同目録二記載の土地のうち同図面イロハニイの各点を順次結ぶ直線によつて囲まれた部分をも道路の一部とし、右各部分の内側に側溝を設けたうえ、道路として使用を始めるに至つたこと、しかし、右切り取りによつて壊された建物部分を大谷部落が補修することはなかつたこと、以上の事実が認められる。そして、右各証拠によれば、訴外忠蔵は大谷部落に対し前記行為について抗議をするということはなかつたことが認められ、また、甲道を拡張し真直にすることは同人の意向に沿うものであつたかのように窺われないでもないが、さりとて甲道拡張部分の権利の譲渡または使用権原の設定につき特段の取り決めが同人と大谷部落との間になされたという形跡もなく、右認定の事実によつては、訴外忠蔵が本件土地所有者としてまたは原告を代理して大谷部落との間に甲道拡張部分の贈与または通行地役権設定の契約をしたという事実に推認するに足りないものというべきであり、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。したがつて、抗弁3ないし5はその余の点について判断するまでもなく採用できない。
三 乙道部分についての被告の権原の取得の有無
1 証人平井貞夫、同大西一男、中島正二郎、同奥田憲太郎の各証言およびこれらによつて真正に成立したものと認められる乙第三号証の一ないし六、第四ないし六号証の各一・二、第一六号証の一ないし五、第一七号証の一ないし三、第一八号証、成立を争いのない乙第八号証、第二〇号証の一ないし四、検証の結果を総合すると、左の事実が認められる。
(一) 大谷部落には、以前から村民の自治会的な性質を有する伍長会という組織があり、同会は大谷部落に含まれる五つの小部落から選出された伍長によつて構成され、その代表者は組長と呼ばれていた。伍長会の集会においては組長がその責任で議事録を作成し、後任者に引き継ぐまでに伍長会での決議事項を議事録に書きとどめることにしていたが、その内容について後から伍長会として確認するということはされていなかつた。
(二) 大谷部落の住民は、もと吉次前道路を通過して中島家宅地内を通り弥長神社あるいは海岸の方へ行き来していたが、訴外忠蔵は、これを嫌がり、組長あるいは伍長等に、屋敷内を通らないようにしてほしいと申し入れ、その代りに住民の乙道部分の通行を認め、昭和一八年ころには、乙道部分は松林内に人の歩行によつて自然に出来た状態の幅一メートル足らずの小径となつていた。
(三) 訴外忠蔵は、さらに、吉次前道路の払下げを受けることを希望したが、国有地の払下げには利害関係人である訴外沢吉次と大谷部落の同意が事実上必要であると考えられたので、昭和二三年末の伍長会においてその旨の申入れをしていた。
(四) 昭和二三年度の伍長会議事録には「西宮参宮道路について、産業道路として完成のこと」「西宮道の工事を施行のこと」「西宮参道予定通り施行」等の記載があり、大谷部落は同年度中に「産業道路新設費」として五〇〇〇円を支出した。「西宮」とは前記弥長神社を指す。
(五) 昭和二五年度伍長会議事録には、同年七月五日の協議事項として「西谷産業道路の件」と題し「沢吉次氏前道路を中島氏所有とすることを認め(前氏は契約書を入れる)中島氏は産業道路のため元の戎堂屋敷を提供する」との記載があり、また、同年八月一日の協議事項として「第四区産業道路を公道に編入すること」との記載がある。
(六) 昭和二七年度伍長会議事録には、同年四月二〇日の協議事項5として「沢吉次前道路と中島俊蔵所有産業道路敷地と交換の件」という項目のもとに「払下価額は坪一七〇円とし一二坪の代金を中島俊蔵より出し諸費用(分筆及び登記)は各関係両者の負担とする」と記載されている。
(七) 原告は、吉次前道路の払下げを受け、昭和二七年一二月二六日付で所有権取得の登記をした。
2 しかし
(一)(1) 前掲乙第五号証の二によれば、前記1の(六)の協議事項5の後の同7には「西谷道路新設の件」という項目で、「全伍長、委員となり研究すること」と記載されていることが認められる。
(2) 成立に争いのない乙第一五号証、証人栗田重太郎、同中島正二郎の各証言、原告本人尋問の結果によれば、戎堂は、もと別紙物件目録記載の六の土地の南角にあつたが、昭和二〇年ころ同所から弥長神社への参道より東側の岩美町大字大谷字西町田屋敷二一九七番地内または字峯ケ鳴二二〇〇番地内へ移転新築されたものであり、前記1(五)にいう「元の戎堂屋敷」というのは、移転前の戎堂敷地であつた小地域を指すものと考えるほかはなく、乙道部分全部を意味するものではないことが認められる。証人平井貞夫の証言中この認定に反する部分は信用することができない。
(3) 右(1)、(2)の事実を考え合わせて、前記1掲記の各証言を総合検討してみるとき、前記「産業道路」「西谷産業道路」「第四区産業道路」「西宮参宮道路」「西宮参道」等の名が乙道の呼称であつたとしても、前記1の(四)(五)(六)の伍長会議事の対象、昭和二三年中における工事の対象となつた右名称の道路が乙道部分を含むものであつたと断定するには十分でないというべきである。
(二) 大岩村が昭和二五年三月二六日乙道について村道編入をした事実は当事者間に争いがないが、その後に右(五)、(六)のような議事がなされていることは、被告の主張に立脚してみるとき、合点しがたいことである。
(三) 何よりも、大岩村が、公共用地の所有権または使用権原を取得するにつき、土地所有者との間に契約書を作成しあるいはその他の公文書によつて事実を明らかにするということがなく、部落伍長会の議事録における前記のような不明瞭な記載を唯一の根拠とすることは、きわめて疑問であるといわなければならない。
3 そこで、1掲記の各証言中被告の主張に沿う部分は、証人栗田重太郎の証言および原告本人尋問の結果に対比し、かつ右2の諸点を考え合わせると、信用することができず、訴外忠蔵が、昭和二二、三年ころまたはその後同二五年ころまでに、自己のためまたは原告を代理して大谷部落ないし大岩村に対し、乙道部分を公道として使用することを承諾し、その所有権移転または地役権設定を約した事実は、認めるに足りないものというべきである。したがつて、被告の抗弁689はその余の点について判断するまでもなく失当である。
4 前掲乙第三号証の一ないし六および証人栗田重太郎の証言によると、訴外栗田は、前記1(五)の昭和二五年七月五日の伍長会に、当時名目上伍長であつたが病臥していた訴外忠蔵の使者として出席した事実が認められるが、訴外栗田が右伍長会において乙道部分の譲渡を承諾する意思を表示したことおよび同人が訴外忠蔵から右譲渡をなす代理権を与えられたことを認めるに足りる証拠はなく、これに加えて前記三2の事情を考えるならば、抗弁7は、その余の点について判断するまでもなく、採用しえない。
四 取得時効の主張について
1 甲道拡張部分について
証人沢藤野、同栗田重太郎の各証言および原告本人尋問の結果ならびに前記二の認定事実によると、大谷部落は、訴外沢吉次にことわりなく同人夫婦の居住する建物の一部である牛小屋を切り取つて、甲道拡張部分を道路に取り込んだ事実が認められる。そして、被告主張の大岩村の占有は同村が大谷部落から承継したものと解するほかはないが、右事実によれば右占有は、その取得が強暴によりなされたものというべきであるから、すでにこの点において被告の取得時効の主張は理由がない。
2 乙道部分について
大谷部落ないし大岩村がいつごろ乙道部分の占有を取得したものと認めるべきかは前記三1掲記の証拠によつても必ずしも明らかでないが、いずれにしても、訴外忠蔵と大谷部落との間に交換類似の所有権移転もしくは地役権設定の契約が成立した事実を認めることができないことは、先に判断したとおりであるから、大岩村が取得した占有は、権原の性質上所有の意思または地役権行使の意思による占有とみることはできず、乙道部分に対する取得時効の主張も採用しえない。
五 以上に判示したとおり、大谷部落ないし大岩村、さらには被告が本件道路部分について権原を取得した事実は認めることができず、したがつて、被告の本件供用開始処分は、無権原に原告所有の本件土地に対してなされたものであるから、無効である。
第六以上の次第で、原告の本訴請求中、本件道路部分の供用開始処分の無効の確認を求める部分は理由があるからこれを認容し、路線認定処分の無効の確認を求める訴は不適法であるからこれを却下し、甲道拡張部分の供用開始の不存在の確認を求める請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 野田宏 奥田孝 辻本利雄)
物件目録<省略>